小島 秀輝
鬼の霍乱 壱 藤原道長
この世をばわが世とぞ思う望月の
欠けたることのなしと思へば
「望月の歌」を詠んだ藤原道長は、紫式部「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルとも言われています。
絵巻に描かれた容姿から想像される道長は、肉体的に満ち足りた堂々たる人物に見えます。
仮に源氏物語の主人公だったとすれば、青年時代は健康な美丈夫だったことでしょう。
そんな彼が望月の歌を詠んだのは53歳、三女の威子(いし)が後一条天皇の中宮となる「立后の式」が終了し、その後の祝宴の最中でした。
一家三后の栄に酔った道長でしたが、この時すでに致命的な病に蝕まれていました。
これより2年前、長和5年(1016年)正月、道長は眼病に苦しむ三条天皇に譲位を迫って、後一条天皇を擁立します。
道長は外祖父として待望の摂政の地位を得たのですが、51歳の道長はしきりに喉の渇きを訴え、水を飲むようになりました。
右大臣藤原実資(さねすけ)は、この時の道長の様子を日記「小右記」に書き残しています。
摂政仰せられて云ふ。
去三月より頻りに漿水を飲む。
就中近日昼夜多く飲む。
口乾き力無し。
但し食は例より減ぜず。
さらに十八日後の「小右記」には
枯槁の身体未だ尋常ならざる如し。
枯槁(ここう)とは、草木が枯れる様子のこと、転じてやせ衰えて、生気が無くなった状態を意味します。
青年時代、美丈夫だった道長も、晩年、著しく弱々しい姿へと変貌したことがわかります。
実資の日記は、この変貌の原因が激しい口渇があり、多量の水を飲み、ひどく憔悴し、しだいにやせ細り、無気力になっていく病気、つまり「糖尿病」であることを連想させます。
糖尿病になると血糖値が上がり、身体の細胞から水分が出て、非常に喉が渇くようになります。
そのため当時、糖尿病は「飲水病」とか、「消渇(しょうかち)」と呼ばれたのです。
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