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小島 秀輝

霍乱の治療 【 鍼灸編 】


先のブログでは、漢方薬による霍乱の治療をご紹介しました。

病気や治療方法について、東洋医学がどのように考えているのか、少し分かっていただけたのではないでしょうか。


そこで今回は、霍乱の鍼灸治療について、ご紹介します。

私が30歳になった頃のことですが、ある社会人の陸上チームにトレーナーとして同行したときの話です。

昼頃の飛行機で伊丹空港を飛び立ち、沖縄の青い海を窓から見下ろしていた時、飛行機が着陸する態勢に入りかけた段階で、吐き気をもよおすようになりました。

朝に食べたものを思い返すと、食後に食べたお菓子がピンときました。

あんこを包んだお菓子でしたが、一口食べて味が変だなと思いながらも、胃液で何とかなるとごまかして、完食していました。

沖縄空港に着いころに、お腹が痛くなって、急いでトイレに直行しました。

陸上部のキャンプ地は、空港から1時間ほど離れた嘉手納でしたので、タクシーに乗り込み、気分が悪いのを我慢しつつ、なんとか目的のホテルまで行くことができました。

すぐに監督を探して挨拶をし、夕食は要らないとだけ告げて、部屋に籠ることしました。

キャンプ初日に、食あたりでチームに迷惑をかけるわけにはいけないので、明日からの練習までに何とか復帰できるようにと焦る気持ちと、気分が悪いことで、冷静さを保つのが大変だったことを思いだします。

部屋へと帰る途中、吐き気と腹痛がますます酷くなっていくような予感があり、脱水予防のために、通路脇の自動販売機でスポーツドリンクを買いました。

身体の状態が経験したことがないくらいの悪さでしたので、脱水症状が最悪の場合、救急車を呼ぶことも想定しました。

部屋に入ってすぐ、最初は嘔吐と下痢を何度か繰り返していましたが、徐々に吐くものがなくなり、水溶性の下痢だけになっていきました。

いつの間にか寒気が加わり、シャワーを浴びて、夕方からベッドで横になって眠りました。

かなり体力を消耗していたのか、吐き気が残っていても、すぐに眠りに落ちたように記憶しています。

しかしながら安息の時間は長くは続かず、急激な腹痛で目覚め、トイレに駆け込むことを何度か繰り返しました。

この時の腹痛は、生涯、忘れられないほど辛い症状で、まるで雑巾を絞るように腸をねじられた感じで、涙が湧き出てくるほど苦しかった記憶があります。

トイレの便器に座りながら、これがいわゆる「しぶり腹か」とつぶやいていました。

三度目に腹痛で目が覚めた時、脱水症状はなんとか免れられそうな安心感はありました。

しかし、しつこく残る吐き気と激しい腹痛、寝ても改善しない寒気を放置できないと思うようになりました。

すでに深夜になっていたと思いますが、時間を確認する余裕はありませんでした。

これまでに何度かチームに帯同してきましたが、私が東洋医学をようやく実践できるようになった頃だったことで、今回の合宿から初めてお灸を持参していました。

東洋医学の研究会で、「食あたりの灸」の話を聞いていたので、記憶にも新しく、自分の身体で灸治療を試すことになりました。

少し眠れたこともあり、自分で治療する気力だけは回復できていました。

まず初めに試したのは、食あたりの灸のツボです。

講師の先生の話では、「熱くなるまですえる」ということでしたが、ツボが足の裏ということでお灸をすえにくいだけでなく、一荘目から飛び上がるほど激アツでした。

5荘ほど両方の足の裏にすえてみたのですが、一向に楽になる感じがありません。

特効穴と聞いていたので、一瞬にして希望が絶望に変わりました。

身体が冷え切っている感じがあったので、自分の五感と未熟な知識を結集して、何か解決策を見つけるしかありません。

すると、足三里のツボが頭に浮かんで、鍼ではなく、お灸することを思いつきました。

早速、お灸をしてみると、一壮目から腹部の奥がほんのりと温かくなるのを実感し、治療効果を確信できました。

5荘ほどすると腹痛まで治まり、苦痛のしぶり腹からようやく解放されそうな気分になりました。

加えて、お臍の上にある中脘のツボにも5荘、お灸をすえて、再び眠りにつきました。

その後、2回ほど腹痛で目が覚めましたが、同じ治療を繰り返し、楽になって寝ました。

食あたりを起こしてから16時間後、目を覚ますと朝日で部屋が明るくなっていました。

夕方からの苦痛が嘘のように消えて去っていました。

合宿2日目、まずは朝食のために食堂へと向かいました。

昨日、挨拶ができなかった選手と久々の再会を果たし、おいしく朝食を食べることもできました。

昨晩の食卓に参加しなかった本当の理由をチームの皆さんに報告し、その日から最終日まで無事にトレーナーの仕事をやり遂げることもできたのです。

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