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小島 秀輝

干支の本義

あけましておめでとうございます


今年の干支は乙巳(いっし)となります。

先のブログでも書きましたが、十干の(きのと)と十二支の(み)の組み合わせ。

甲子から始まり、癸亥で終わる60通りの干支の42番目が乙巳です。

十干も十二支も陰陽五行説が使われていて、東洋医学と共通する思想です。

それゆえに医易同源とも呼ばれることがあります。

現在、干支と言えば、十二支のみに目を向けるので、今年は「巳(へび)」とだけの表記となります。

しかし、古来より「巳」には十干の内のにあたる乙(きの)、丁(ひの)、己(つちの)、辛(かの)、癸(みずの)の5種類があります(以下のとおり)。

乙巳、丁巳、己巳、辛巳、癸巳

どのようにして干支ができたのでしょうか。


古代中国では政を行う際に、獣骨を焼いて骨に入るヒビによって吉凶を占う骨卜(こつぼく)を盛んに行いました。

その占いの日を記すのにもちいたのが干支、つまり十干十二支でした。

最初の甲子の年や日の60年後と60日後に、次の甲子がくるように考えたのでした。

これは「時間には、それぞれに独自のがある」と考えた知識人たちが、一年や一日という一定の時間の質を知るために目安として用いたのです。

骨卜が行われたのが殷代(前16世紀から前11世紀頃)ですから、今から3600年前から500回以上も繰り返し、一年の質を占い、その傾向や法則を見てきたことになります。


干は幹支は枝で、本末関係にあり、兄弟(えと)といわれます。

もともと干によって日を、支によって月を測ったもののようです。

最初に干支をそれぞれ陰陽に分かち、十干・十二支を定めました。

その後、戦国時代(前403~前221年)になると、五行思想と結び尽きます。

五行の「五」は、木、火、土、金、水の「五つ」であり、「行」は「行動」の意味です。

マクロコスモスとしての自然、ミクロコスモスとしての人生、それらの営む活発な作用・行動・力、これが五行です。

古代の中国人は、抽象的理論よりも具体的な事実、存在を重んじて、これを観察します。

そして、その活動性(ダイナミズム)を実在する木、火、土、金、水という物質を通じて、これらを象徴として、そこに営まれる天地の創造、変化の作用を五つに分類しました。

東洋のシンボリズム(象徴)というものは非常に発達していたので、木そのものや火そのものを、自然や人生の根本問題として組み立てていくという唯物的な意味では決してありませんでした。

医gや暦は、陰陽五行説と関連が深いので、東洋のシンボリズムを理解していないと、真に使いこなすことができないという

とになります。

この干支を年・月・日・時に用いたことは、天文暦学上、合理的であり、偉大な効果がありました。

特に古い年代をたどるのにとても便利です。

たとえば、春秋時代の一文に「桓公三年七月壬辰朔、日有食之」があります。

壬辰とあるので、容易に逆算できることから、西暦前709年7月17日(ユリウス暦)に日食と判断できます。

これによって、桓公の年代が定まり、同時に春秋時代の出来事も歴史的に確実であることもわかります。

さらに、干支が八卦に応用されると、方位の表記にも使われるようになりました。


干支は十干に十二支を組み合すので、甲子に始まり、乙丑・丙寅と一巡すると、癸亥で終わります。

ちょうど「六十」で一巡し、再び甲子に還るので、これを「還暦」と言います。

自分の生まれ年の干支に再び戻るので、「本卦帰り」といって祝うのが今に続いています。


干支の本義は、生命消長の循環過程を分説したものです。

そのため、本来は、鼠や牛、蛇、木や火などと直接関係のあることではありません。

再説しますと、干も支も、生命の発生・成長・収蔵の過程、あるいはエネルギーの変化の過程を時代に当てはめて解説したもので、時の機運というものを主としたものです。

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