温かい涙、冷たい涙
頬を伝う涙に、「温かい」や「冷たい」といった温度を感じたことがありますか? 石川啄木の歌に わかれ来てふと瞬けば ゆくりなく つめたきものの頬をつたへり とあります。 この歌は、吹雪の停車場で妻子と別れた際に詠まれたものだそうです。 じっとこらえていた悲しみが目頭にあふれてきて、そのときの涙は熱く感じたのに、頬をつたわって流れたときには冷たく感じてしまう無常さが伝わってきます。 「涙に温かいや冷たいがあるのかどうか」 この問いかけを掘り下げた人が、古代ギリシャの地にもいました。 多岐にわたる自然研究の業績によって「科学の父」とも称される、アリストテレスです。 彼は「眼に関する諸問題」の中で、以下のように述べています。 「涙は、泣き叫びながら流す場合には温かく、眼を酷使して流す時には冷たいが、これは何故だろうか。」 なかなか面白いところに着目していると思います。 さらに以下に続きます。 「それは、よくこなされていないものは冷たく、十分にこなされたものは温かい、という理由によるのであろうか。 一般に、病弱はすべて体液がこなされていないことに起因し、また、眼を酷使する人の涙はこなされていない。 それゆえに、彼らの涙は冷たいのである。」 彼は、このような結論に達したのですが、「体液がこなされているとか、こなされていない」というのは、「涙が温かいのは体液が十分にこなれているからであり、冷たいのはよくこなれていないである」というヒポクラテスの体液説がすでにあって、アリストテレスはそれを参考にしたことがわかっています。 ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれる人であり、「人間の身体を構成する体液の調和が崩れることで病気になる」という体液病理説を残し、18世紀に病理解剖学が確立されるまで、臨床医学の主流として西洋医学に受け継がれることになります。 ヒポクラテスやアリストテレスが、人体の体液についてこのような考え方をしていたことに驚きと興味を抱きました。 そして同じ体液である「汗」についても面白い説明をしています。
「冷たい汗、温かい汗」へと続きます。