不妊治療を振り返る
(前編)
Kさんが体外受精のために採卵したのは、3つの卵でした。
受精を終えた3つの卵は選別され、質の良いものから順番に子宮内に戻すことになります。
女性の子宮内に受精卵を戻す行為を「胚移植」と呼びます。
Kさんが知人から和鍼治療院を紹介されたのは、4回目の胚移植を終えた後でした。
体外受精をするために渡り歩いた婦人科は合計で3院。
それぞれに2回ずつ行う予定でしたが、最後の婦人科で3回行いました。
4回目の胚移植までは、受精卵が胎盤に着床することができず、妊娠に至ることが全くできませんでした。
この頃のKさんは、以前から腰の周辺が冷えやすいことが気になっていたそうです。
「このような体質を変えることができれば、妊娠の確率が上がるのではないか」と考えるようになり、東洋医学に興味を持ったそうです。
Kさんが来院された時の状態は、仕事のストレスがあり、疲労の蓄積もありました。
不妊治療の不安感や心配もあり、身体の緊張や疲労を取り除く必要も私は感じました。
ご本人が気にしておられた腰周辺部の冷える感じも、体表観察によって察知することができました。
Kさんに治療の方向性と内容をお伝えし、週一回のペースでの治療をスタートします。
治療を始めて3カ月ぐらいが経過したころ、体質が変化していることがわかりはじめました。
その一つが、腰回りの冷え性です。
時期が春先ということで、まだまだ寒い時期でしたが、腰回りの冷える感覚が消失され、身体全体が温かく感じるようになられました。
2月という雪が降ることもある時期に、お腹が温かくなってきたことに、Kさんはとても驚いておられました。
二つ目の変化は、ストレスで緊張していた身体が緩むようになり、気持ちが明るく、リラックスできるようになられたことです。
これは三つ目として挙げることになる、「疲労感の軽減」ともとても関係があります。
日常的に常に感じていた肩と首のコリ感がかなり軽減したので、日常の生活にも気持ちの余裕が生まれたそうです。
このことは、子宮内の血流の改善に大きく貢献し、その後の好結果へとつながったと思われます。
ちょうどこの頃、5回目の胚移植を行うことになります。
実はこの時、治療を担当している私は、Kさんに期日の延期を申し出ていました。
ようやく体質が改善し始めたところなので、もう少し身体のバランスが安定してからの方が妊娠の確立が高くなると思ったからです。
Kさんはご自身の年齢をかなり気にされていて、1カ月でも早く胚移植を行うことを希望されていたようです。
この頃になると、体調が安定し始めており、治療の回数を2週間に一回ペースにすることができていました。
それまでは体調管理のために週一回が最低条件と思っておりましたが、二週間に一回のペースでもバランスを崩すことはありませんでした。
これらのことを熟慮した結果、病院での予定で胚移植をする決断をされます。
5回目の胚移植の後、生理の予定日を迎えましたが、生理による出血はなく、無事に胎盤に着床していることが確認できました。
最初のハードルを無事に超えることができ、Kさんと共に喜びを分かち合うことができました。
治療師としてこのような喜びに出会えることは、何物にも代えがたいものです。
ところが、体外受精の成否はこの時点だけでは決めることができないことを知ります。
第二のハードルとして、胎児の心音確認があります。
胚移植から7週目あたりに行われるものですが、この度の移植では心音が聞こえることはありませんでした。
この時のKさんの心境を慮ると、かける言葉が見当たりませんでした。
しばらくして生理がおとずれ、再び身体の調整を続けました。
生理後の体調不良を心配したのですが、幸いにしてその影響は軽微であり、すぐに体調が戻ったことを確認することもできました。
後に、Kさんに、初めてお腹で受精卵が育つことの感想を聞いてみました。
私は何も感じないものかと思っていたのですが、Kさんの返事は意外なものでした。
受精卵が胎盤に着床してしばらくしてから、お腹の中にいつもとは異なる何かを感じていたそうです。
それがある日感じられなくなったことも認識できたとのことでした。
「母と子の繋がりはこれほどまでに深いのか」と改めて学びました。
この時点で残された受精卵は2つ。
4回目の胚移植に向けて、体調管理は順調に進みました。
時々、仕事のストレスや疲労の蓄積はありましたが、すべて軽微であり、体調に大きな影響を与えることはありませんでした。
むしろ体調はぐんぐんと良くなり、お灸を使用しなくても身体が温まるほどでした。
治療している私にも生命力が高まっていることがわかるほどエネルギーに満ち溢れるようになっていただけました。
不妊治療中でなければ、鍼灸をする必要がないほどの状態であると思ったほどです。
6回目の胚移植を終え、今回も無事に胎盤に着床していることがわかりました。
慎重に心音が聞こえることを待ちましたが、今回も残念な結果となりました。
体調が良くなったことで、胎盤への着床率は100パーセントになっています。
ところが選ばれたはずの受精卵が育ってくれないというジレンマに陥りました。
「自然妊娠の可能性」もあるのではないかと真剣に思っていました。
「ここまで体調が安定しているのに、ここで断念するのは非常におしい」と思わず、心の想いが口から出てしまいました。
Kさんは、今回も受精卵の存在をお腹の中に認識できていたそうです。
自然妊娠でも心音が途中で途切れることはあります。
安定期と言われる妊娠16週から28週の妊娠中期を無事に迎えてもらう必要があります。
どれだけ科学技術が進歩しても、受精卵の性能を高めることはできません。
私たちがこの世界で生命を得ることがどれほど奇跡的なことであるかを再確認せずにはいられませんでした。